In re Entresto (Sacubitril/Valsartan) Novartis Pharma.
Fed. Cir. Jan.
10, 2025
Lourie, Prost,
and Reyna (Circuit Judges)
Summarized by Tatsuo YABE 2025-02-19
2010年以降、CAFC大法廷判決及び合衆国最高裁判決によって米国特許法第112条(a)項で規定する明細書の記載要件が険しくなった。即ち、2010年にはAriad大法廷判決[*1]によって、112条(a)項の「記述要件」の判断基準、2023年5月にはAmgen最高裁判決[*2]によって112条(a)項の「実施可能要件」の判断基準が明示された。
Ariad大法廷は、①クレームされた発明を発明者が出願時に②所有(possess)していたことを当業者が合理的に理解できるように明細書に記載しなければならないと判示した。なお、後にJuno Therapeutics判決(CAFC: 2021)で、クレームされた発明の全域を発明者が所有していたことを当業者が理解できるように記載することと判示した。 さらに、Amgen最高裁判決によると、「実施可能要件」を満たすには、出願時の明細書で、クレームされた発明の権利範囲全体を、当業者が不当に多大な実験をすることなく、製造・使用できるように記載することと判示した。従って、112条(a)項の「記述要件」と「実施可能要件」を判断する上でクレームされた発明の全域が対象となる。
本件においてCAFCは、後発技術(出願時のクレームに対して非自明となる後の発明)を記述していない特許が明細書の「記述要件:Written Description」を満たしていないとした地裁の判決を覆した。その際、CAFCは、明細書に対する「記述要件」と「実施可能要件」は、被疑侵害(侵害の判断の対象となる製品)の形態を考慮する前に、あくまでクレーム解釈(マークマン・ヒアリング)に基づき判断されると説示した。結果として、特許権者は、クレームが後発の製品を含みうる広範な文言で規定されていたとしても、明細書に開示されていない後発の特徴を記載していないという理由で特許は無効にならないと述べた。
但し、本件において以下の2点に関してCAFCの判決文は明確に述べていない(結果的にはそう言っているようには読めるが・・・)。故に歯切れが悪い:
「1」地裁において「(a)実施可能要件」の判断は出願時の技術水準に鑑みて判断するが、「(b)記述要件」の判断はそうではないと述べている。CAFCは何故(a)も(b)も出願時の技術水準に鑑みて判断すると明言しなかったのか?
「2」出願当時には知る由もない非自明の後発技術を含む広い文言のクレームは当該後発技術をその権利範囲に含み、当該後発技術は侵害となる」と言い切っていない。(以上筆者)
[*1] Ariad Pharms., Inc. v. Eli Lilly &
Co., 598 F.3d 1336, 1351 (Fed. Cir. 2010) (en banc)
[*2] Amgen Inc. v. Sanofi, 598 U.S. 594, 610, 143 S.Ct. 1243, 215 L.Ed.2d
537 (2023)
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背景:
2015年、米国食品医薬品局(FDA)は、Novartis社のバルサルタンとサクビトリルの併用療法に関する新薬(NDA)を承認した。この薬剤はEntresto ®の商品名で販売されており、Entrestoには、バルサルタンとサクビトリルが「複合体」として知られる特定の形態で含まれている。この複合体は弱い非共有結合を通じて2つの薬剤を単一の単位用量形態に結合している。バルサルタンはアンジオテンシン受容体拮抗薬(ARB)で、アンジオテンシンIIが受容体に結合するのを防ぎ、自然に生成されるホルモンであるアンジオテンシンIIの血管収縮作用を減少させる(血圧を下げる効果がある)。サクビトリルは体内の特定の酵素(ネプリライシンという)の働きを抑える薬で、この酵素を抑えることで、体内の有益なペプチド(小さなタンパク質)の量を増やし、心臓や血管の健康を維持する助けになる。
バルサルタンとサクビトリルの複合体は、2つの分子が弱い力で結びついた状態なので、この複合体は、体内で別々に作用し、心臓と血管の健康を総合的にサポートする。バルサルタンが血管を広げ、サクビトリルが有益なペプチドを増やすことで、より効果的に心臓病や高血圧を治療できる。初回承認時、Entrestoは駆出率が低下した心不全の治療に適応し、2019年にはEntrestoは小児の心不全治療にも承認され、2021年には駆出率が保たれた心不全の治療にも承認された。2023年だけでも、Entrestoの米国での売上高は30億ドル以上に達する。
注:駆出率(EF: Ejection Fraction)とは、心臓の機能を評価する重要な指標の一つです。具体的には、1回の心拍で心臓(主に左心室)から送り出される血液量の割合を示す。正常値は約55~80%。
複数の企業が、弱い非共有結合で複合化されたバルサルタンとサクビトリルの化合物からなるNovartisの薬剤Entresto®のジェネリックを販売するための承認を求めてANDAを申請した。これに対し、Novartisはデラウェア連邦地裁に、バルサルタンとサクビトリルを「組み合わせて投与する」医薬組成物に関する特許の侵害裁判を提起した。
問題となったNovartisの特許クレーム:
US Patent No. 8,101,659 |
659特許クレーム1 |
1. A pharmaceutical composition comprising: (i) the AT 1-antagonist valsartan or a pharmaceutically acceptable salt thereof; (ii) the NEP inhibitor [sacubitril] or [sacubitrilat]2 or a pharmaceutically acceptable salt thereof; and (iii) a pharmaceutically acceptable carrier; wherein said (i) AT 1-antagonist valsartan or pharmaceutically acceptable salt thereof and said (ii) NEP inhibitor [sacubitril] or [sacubitrilat] or a pharmaceutically acceptable salt thereof, are administered in combination in about a 1:1 ratio. |
1.
以下を含む医薬組成物: |
地裁:
地裁では、被告MSNは問題となる特許明細書には薬物が複合化されたバルサルタンとサクビトリルの組み合わせるという記述を含んでいないため、明細書の「記述要件」と「実施可能要件」を欠いており無効であると主張した。より具体的には、MSNは、バルサルタン-サクビトリル複合体を開示していないことで、特許がクレームの全範囲を記述し実施可能にしていないと主張した。Novartisは、Entresto®製品が特許出願後に開発された後発技術であるため、明細書は112条の要件を満たすために複合化されたバルサルタン-サクビトリルを記述または実施可能にする必要はなく、当時知られていたバルサルタンとサクビトリルの組み合わせのサポートを提供するだけで十分だと反論した。
3日間のベンチトライアルの後、地裁は特許が「実施可能要件」を満たすには出願時(優先日)の技術水準に基づいて判断されるので、「実施可能要件」を満たすには、後に開発された複合化された組み合わせを実施可能にする記述は明細書に必要はないと説明した。しかし、地裁は明細書の「記述要件」に関しては、2002年当時(2002年1月17日:659特許の優先日)にNovartisがまだ考案していないもの(複合化されたバルサルタンとサクビトリルの組み合わせ)を明細書に記述することは到底不可能であったため、この事実に鑑み議論の余地なく「記述要件」が欠落していると判断した。
CAFC:
CAFCは地裁の明細書の「記述要件」に対する判断を覆した(実施可能要件に関する判断は支持)。
本件の争点は、659特許にクレームされたもの、すなわち、組み合わせて投与されるバルサルタンとサクビトリルを含む医薬組成物、が記載されているか否かである。争点は659特許がバルサルタン-サクビトリル複合体が明細書に記載されているかどうかではない。659特許はバルサルタン-サクビトリル複合体をクレームしていないため、明細書にそれらの複合体を記載する必要はなかった。明細書はクレームされた主題を出願時において発明者が所有していたことを当業者に合理的に示すのであれば明細書は発明を適切に開示している。Juno Therapeutics, Inc. v. Kite Pharma, Inc., 10 F.4th 1330, 1335 (Fed. Cir. 2021) クレームの権利範囲(さらに、それが適切に開示されているか)はクレーム解釈(マークマン・ヒアリング:Markman Hearing)によって決定される。Phillips v. AWH Corp., 415 F.3d 1303, 1312 (Fed. Cir. 2005) (en banc)
地裁において、MSNはクレーム解釈において(被疑侵害者の多くがそうであるように)、バルサルタン-サクビトリル複合体(被疑侵害の形態)を除外するように限定解釈しようとした。659特許ではバルサルタンとサクビトリルが分離していなければならないと記載していないのでMSNのクレーム解釈を否定した。したがって、当該クレームの文言(「組み合わせて投与されるバルサルタンとサクビトリルを含む医薬組成物」)は一般的、且つ、通常の意味合いで解釈された。
659特許にバルサルタン-サクビトリル複合体が開示されていないという事実は659特許の有効性に影響を与えない。659特許の優先日の4年後まで発見されなかった当該複合体を659特許のクレームで規定しているわけではない。地裁のクレーム解釈において、659特許のクレームはバルサルタン-サクビトリル複合体を含むと判断したのは、特許性の判断と侵害の有無という異なる争点を誤って混同したことに起因する。そのために明細書の「記述要件」の判断を誤ったと理解する。問題は特許が複合化されたバルサルタンとサクビトリルの形態を適切に記述しているかどうかではない。むしろ、問題は特許がクレームされているもの、つまりバルサルタンとサクビトリルの組み合わせ、を適切に記述しているかどうかである。
クレーム解釈において被疑侵害の形態を含むか否かを判断するのではない。被疑侵害の形態を考慮に入れることなくクレームを解釈した後にはじめて、そのように解釈されたクレームを被疑侵害の形態に適用し侵害の有無を判断する。SRI Int'l v. Matsushita Elec. Corp. of America, 775 F.2d 1107, 1118 (C.A. Fed. Cal. 1985).
本件では、クレーム解釈の後、MSNは解釈されたクレームの侵害を認めた。この認容と、659特許がバルサルタン-サクビトリル複合体をクレームしていないという事実に鑑みて、そのような複合体に関するさらなる論点は我々CAFCの検討対象ではない。
上記理由により、CAFCは、地裁が659特許のクレーム1〜4が明細書「記述要件」不備により無効であるとした判断に明らかな誤りがあったと判断する。本659特許は、クレームされた主題に対する「記述要件」を満たしている。