Agilent Tech., Inc., v. Synthego Corp., 102条の先行技術としての引例の開示に対する実施可能要件は、特許明細書に対する112条の実施可能要件とは明らかに異なる。前者は開示箇所に対する実施可能性のみで、後者はクレームの権利範囲全域に対する要件である。 OPINION by Prost, Linn and
Reyna (Circuit Judges) |
本件は、102条で規定する先行技術の開示に対する「実施可能要件」に関する。無効の対象となる特許のクレームに対する実施可能要件(112条)と102条の基に引例となる先行技術の開示に対する実施可能性とは識別される。
すなわち、無効の対象となる特許に対しては、2023年のAmgen最高裁判決の法理に基づき、クレームされた発明の全域が対象で、当業者が不当に多大な実験を要することなくクレームされた発明の全域に渡り発明を実施できるように明細書が作成されることを要件としている。一方、新規性を否定する先行技術は無効の対象となる特許クレームの全体に対して実施可能である必要はなく、そのクレームに対する一実施例が実施可能であれば良い。さらに、引例[*1]の開示は実施可能であるという推定が働く。
したがって、権利者側が、実施可能要件を満たさないという理由で引例の地位を否定するハードルは高いということだ。(以上筆者)
[*1] 判決文中では、「引例」と「先行技術」という用語がほぼ同義で交互に使われている。
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■ 特許権者:Agilent Technologies, Inc.,
■ IPR請求人:Synthego Corp
■ 関連特許:USP 10,337,001 & USP 10,900,034 (以下001特許 & 034特許)
共に、2014年12月3日の仮出願から派生した。
■ 特許発明の概要:
当該特許はいずれも
化学的に修飾されたCRISPRガイドRNA(gRNA) に関するもので、CRISPR-CasシステムにおけるgRNAの安定性向上、分解耐性付与、機能維持を目的とする。
■ 代表的なクレーム:001特許のクレーム1
001特許のクレーム1 |
概要和訳 |
A synthetic CRISPR guide RNA having at least one 5′-end and at least one 3′-end, the synthetic guide RNA comprising: (a) one or more modified nucleotides within five nucleotides from said 5′-end, or (b) one or more modified nucleotides within five nucleotides from said 3′-end, or (c) both (a) and (b); wherein said guide RNA comprises one or more RNA molecules, and has gRNA functionality comprising associating with a Cas protein and targeting the gRNA:Cas protein complex to a target polynucleotide, wherein the modified nucleotide has a modification to a phosphodiester linkage, a sugar, or both. |
合成CRISPRガイドRNAであって、少なくとも1つの5′末端および少なくとも1つの3′末端を有し、該合成ガイドRNAは以下を含む: ここで、前記ガイドRNAは1つ以上のRNA分子を含み、Casタンパク質と会合し、gRNA:Casタンパク質複合体を標的ポリヌクレオチドに導くというgRNA機能を有し、さらに前記修飾ヌクレオチドはホスホジエステル結合、糖、またはその両方に対する修飾を有する。 |
CRISPR-Cas というのは、DNAを「はさみ」のように切って、遺伝子を編集するためのシステムで、この「はさみ」を正しい場所に案内するのが ガイドRNA(gRNA) である。ところが、普通のRNAはとても壊れやすく、体内ではすぐに分解されてしまい、「はさみ」が正しい場所にたどり着けなくなるという不具合が生じる。そこでAgilentの特許は、ガイドRNAに化学的な修正を加えることで、[i] 分解されにくくする(長持ちさせる)、[ii] 安定して形を保つ、[ii] それでもきちんとと「案内役」としての働きをする、という工夫をした。
■ 背景
CRISPR-Casによる遺伝子編集には、標的DNAを案内するgRNAが必須であり、gRNAは細胞内で安定性を維持し、機能を損なわず分解に耐える必要がある。この必要性に鑑みAgilentは化学修飾gRNAの発明に至り、それを権利化した。
SynthegoはAgilentの2件の特許を無効にするべくIPR2件を提起し、主要な先行技術として
Pioneer Hi-Bred(2014年出願:WO 2015/026885) および2つの学術論文(Threlfall 2011、Deleavey 2012)を引用した。
以下、102条の新規性を否定するための引例(Pioneer Hi-Bred「以下Pioneer」)に関連する箇所のみまとめる:
■ PTABの判断
Agilentは Pioneer を「有効な先行技術」として排除しようとした。
理由: Pioneer の実施例(特に例4・例5)は prophetic examples(予測実施例) であり、実際に成功したデータではない。したがって当業者が読んでも「化学修飾gRNAを本当に作れるかは疑わしい」。故に、実施可能性( enablement ) に欠けるので、新規性を否定する引例として使えない、と主張。
Pioneerは Table 7, 8 で具体的な修飾や配列例を示しており、これは当業者が理解できる“実施形態”と評価された
PTABは、Pioneer Hi-Bred の開示が Agilentの特許クレームの要件(化学修飾gRNAの機能)を満たしていると判断した。そのため、Agilentのクレームは 新規性欠如(anticipation) により無効とされた。
■ CAFCの判断
審決を支持する。
新規性を否定するには、先行技術が実際に製造、あるいは、実施されていたという必要はない。当業者がその記載を読んで実施できるようであれば、それで十分である。引例(先行技術)に要求される実施可能性は、出願時に当業者が引例を読んでクレームされた発明に関連する開示箇所を不当に多大な実験をすることなく実施できるレベルであれば良い。新規性を否定する先行技術は無効の対象となる特許クレームの全体に対して実施可能である必要はなく、そのクレームに対する一つの実施例が実施可能であれば良い。Schering Corp. v. Geneva Pharms. 339 F.3d at 1381(Fed. Cir. 2003) さらに、引例(先行技術)の開示は実施可能であるという推定が働く。Impax Labs v. Aventis Pharms 545 F.3d 1312 (Fed. Cir. 2008)
不当に多大な実験を要するか否かはWands要因(In re Wands 858 F.2d 731 Fed. Cir. 1988)で判断する。PioneerのEx.4とEx5は確かに実際の実験による結果ではなく、予見的な例ではある、しかし、この事実のみで、Pioneerの開示が当該推定(実施可能であるという推定)を覆すには不十分である。2012年半ばにおいてCRISPR/CasシステムにgRNAを使用することは比較的新しい発見ではあった。しかし2014年12月までに数多くの試験が行われており当業者にとっては知りうる状態にあったと理解される。したがって、当業者が不当に多大な実験を要することなく、クレームされた化学修飾と機能性にgRNAを使用できたであろうとPTABは結論づけた。
Agilentは、本件はAmgen v. Sanofi(598 U.S. 594: 2023年最高裁判決)で判示された実施可能要件に類似すると主張した。しかしAmgen最高裁判決では、特許権者は機能表現された抗体(PCSK9の要部に結合しLDL受容体に結合するのを防ぐの抗体)の全てに権利を独占しようとしていたのである。この広範なクレームに対し、当業者がそれを実施するには不当に多大な実験を要すると判断した。とはいえ、最高裁はクレームの属する全ての実施形態を実施可能にする記載を明細書に要求しているわけではないと述べた。さらに、最高裁は当業者がクレームされた発明を実施するのに所定の実験を要することを否定するものではないと述べた。どの程度の実験が必要かは発明の性質と先行技術にもよると述べた。
本件はAmgen判決で云うところの実施可能要件とは2点において明瞭に異なる。
第1として、Amgenでは権利行使の対象となる特許のクレームが112条の基に十分に実施可能であるかが争点であった。一方、本件では引例となる先行技術に対する実施可能性であり、新規性を否定するサポートに関する。これら2つは異なる判断である。Novo Nordisk Pharms v. Bio-Tech Gen Corp (Fed. Cir. 2005)
112条では、明細書に対する要件、すなわち、明細書によって当業者がクレームされた発明を実施できるかであり、新規性の条文102条では、新規性を否定する開示(記載)にそれを要求しない。Rasmusson v. SmithKline Beecham Corp, 413 .3d 1318 (Fed. Cir. 2005)
第2として、Amgenではクレームされた発明を当業者が実施するのに途方もない実験を要するに対して、本件では審判部は当業者が以下を理解していたと認定した。すなわち、CRISPR/Casシステムの各要素がどのように用いられ、互いに機能するのか(gRNAの役割を含む)、RNAの分解を抑えつつ機能を保持するために他のシステムで成功裡に用いられていた化学修飾の種類、そして Pioneerにおいて開示され実施例として示された修飾を施したgRNAを作製するための標準的技術、である。
(一部略す)
上記理由によってCAFCは審決(「Pioneerの開示は実施可能である」を支持する。
■ まとめ
[1] 先行技術を enablement 不足で排除するのは極めて難しい。
presumption が強固に働くため。
[2] 特許(112条)の enablement と、先行技術(102条)の enablement は 根本的に基準が違う。
[a] 特許:全範囲を enable する必要あり(広い請求→厳しい)。
[b] 先行技術:単一の実施例で十分、prophetic例でも有効。
[3] 特許権者側が「先行技術は実施不能」と主張するには、非常に高いハードルがある。
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私を含めNon-Bio関係の方々へ(以下ChatGPTによる説明):
1. ヌクレオチドとは?
2. ヌクレオチドの構造(3つの部品)
1. 糖(デオキシリボース=DNA、リボース=RNA)
→ レゴの「真ん中のパーツ」
2. リン酸基(phosphate group)
→ となりのヌクレオチドと手をつなぐ「接続部」
3. 塩基(A, T, G, C, U)
→ レゴの「模様の部分」、情報を表す文字にあたる
👉 これら3つがセットになって「ヌクレオチド」と呼ばれます。
A, T, G, C(RNAはTの代わりにU)という4種類の「文字」が組み合わさって、遺伝情報(文章)を作っている。
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1. RNAとは?
3. RNAの役割(例)
1. mRNA(メッセンジャーRNA)
o DNAからコピーされ、タンパク質を作るための「レシピ」になる。
o → コロナワクチン(mRNAワクチン)はこの仕組みを利用。
2. tRNA(トランスファーRNA)
o アミノ酸を運んで、タンパク質合成の現場に届ける。
3. rRNA(リボソームRNA)
o タンパク質合成工場=リボソームの主要部品。
4. gRNA(ガイドRNA)
o CRISPRでCasタンパクを狙ったDNAへ導く「ナビ役」。
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1. CRISPRとは?
2. どう働くか(自然界での役割)
1. 細菌がウイルスに感染すると、そのウイルスのDNA断片を自分のゲノム中に取り込みます(これがCRISPR領域)。
2. この断片をもとに**ガイドRNA(gRNA)**が作られます。
3. gRNAは Casタンパク質(CRISPR-associated protein) という分子はさみを案内して、同じウイルスが入ってきたときにDNAを切り刻む。
細菌版「顔認証システム+はさみ」 とイメージすると分かりやすいです。
3. 科学者たちの応用(2012年以降のブレイクスルー)
4. 具体的な用途
5. 機械工学系のたとえ
つまり 「DNA設計図を好きなところで切って、修正できるハサミ付きナビゲーションシステム」 がCRISPRです。
一言まとめ:
CRISPRとは、細菌の持つ「DNAを覚えて切る免疫システム」を人間が応用し、狙った遺伝子をピンポイントで編集できる技術です。
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